16、テキサスサウンド その1 (テキサスにしかない魅力)

第1章 テキサスはどんなところだった。

僕のあこがれの地だが、実は数回しか行ったことはない。住んだことはない。
テキサスのカントリーミュージックについて感じていることをまとめてみた。テキサスへは、
1975年6月、北部のコンウエィに立ち寄ったのが最初だった。
1986年メキシコワールドカップ出張の行き帰り、ヒューストンに2回、そして航空部の菊池がダラスにいた時、1回、その後はニューヨーク滞在中に2-3回、コンベンションに行ったくらいだ。
現在、従妹の息子、ナルちゃんがヒューストンに家族と住んでいる。
彼は消化器外科医だ。妻も医師だ。子供は4人。今の彼は想像もつかない存在だが、カントリーミュージックは好きでカウボーイブーツを履いているそうだ。

テキサスフラッグ、このサイト・ポータルのビルボードの画にもある。

「テキサス」TEXASは先住民「カドーインディアン」の「テッシャ」(友情)と言う言葉からスペンイン人が名付けたそうだ。
だからテキサス州は「友情FRIENDSHIP」を州の言葉としている。
スペイン人は中南米からメキシコを経て、現在のアメリカ、真ん中から西に入り込み、昔はテキサス、カルフォルニアはメキシコ領だった。1845年、米墨戦争の結果、合衆国28番目の州になった。
広大だ。日本国土の2倍、アメリカ合衆国南部、真ん中に位置する。
メキシコ湾に面し、ルイジアナ、ミシシッピ、アーカンソー、オクラホマ各州に接している。北側はグレイトプレーンズだ。
人口は3000万にせまりつつある。今でもとても発展している
僕がハワイ太平洋司令部訪問した際に世話になった在日米軍H大佐、
現在はメリーランド州の軍学校校長だ。彼は退職後、サンアントニオに移住したいと、言っていた。
この歌はウイリー・ネルソンWillie Nelsonが書いたが、映像はテキサスの様々な光景が展開している。テキサス全体を想像できる。

テキサスは今やアメリカ合衆国の目玉的存在だが、歴史をみると、とても苦労したところだった。まだまだこれからの地域だと思う。
大都市と地方の差が大きく、都市はヒューストン、サンアントニオ、
ダラス、フォートワース、ガルベストン、オースティン、エルパソなどで残りは自然がいっぱいの過疎地だそうだ。
南北戦争は勿論南軍で、戦後は長く苦難と不況に悩んだ。
牛・綿花⇒石油⇒ハイテク・宇宙・バイオと言う州の産業史をみても推察できる。
人口構成は白人50%、ヒスパニック35%、黒人10%とカリフォルニア州に近い。宗教は90%クリスチャン、うち65%がプロテスタントだ。だからカントリーミュージックが盛んでないわけはない
文化活動でも全米の注目を浴びている。特に音楽だ。
カントリーだけでなく、交響楽団、オペラも。
大きなイベントならオースティンの「サウスバイサウスウエスト」だ。
テレビ番組の「オースティン・シティリミット」に発展した。

オースティン市街のイベント中、3月の様子。この優れたイベントに経産省役人が業者とつるんで訪れたとは、許せるのではないか。

テキサスのカントリーサウンドには幾つかの特色がある。
愛は、自然に帰れ、自分に戻れ、などのコールで、荒々しく乱暴な大地とは真逆の優しさ、ナイーブさを直接的に唄う。
そして、自由に生きること、荒野やどこまでも広がる空は、アウト・ローOut Lowと言うジャンルになった。その心は形にとらわれない展開だ。
アウト・ローの象徴的存在はカウボーイだ。
COWBOYは文化だ。
乗り物は馬か「ピックアップ」そして大平原に続く道、ハイウエィが地平線に伸びる。そのイベントはステイトフェアと「ロデオ」だ。
メキシコに隣接するという地政学から、「テハノTejano 」カントリーはメキシコ系の人達、スペイン語曲サウンドが盛んだ。
テキサス・カントリー・サウンドは以上のミックスだと思う。
しかし、テキサスサウンドは地元以外にも、周辺そしてカントリーミュージックの宿命、ナッシュビルに集約された。またエンタメの都、ロサンゼルスやラスベガスに拡大してきた。だからテキサスだけで括るには限界があることも事実だ。テキサスにはかって版権ビジネスや全国放送局、録音スタジオが少なかったからではないか・・・

カントリーミュージックのなかでテキサスサウンドを定義したものは少ないが、僕は思い込みでテキサス生まれ、活動の場がテキサスそしてテキサスの歌を唄い、上記の如く特徴のある歌をテキサスカントリーとした。

テキサス生まれで同地を中心に活躍したアーティストは多くて、西に繋がるアリゾナやニューメキシコ、オクラホマ、アーカンソーなどは同じ圏内とみてよいだろう。
ジャンル別にみるカウボーイソングズ、アウトローソングズの代表はウィリー・ネルソンだ。彼はヒューストンの近郊で先住民の血を受け継ぎ生まれ、テキサスで育ち、テキサスで音楽を作り唄った。
唄った曲のテーマにはテキサスが多い。

カウボーイ曲は沢山ある。
Mama Don’t Let Your Boys Grow up Cowboys
My Hero Is Always A Cowboy
We Are The Cowboys
The Cowboy Ride Away
Cowboy US
Cowboy Logic
Good Ride Cowboy
Should’ve Been A Cowboy
The Cowboy Hat
The Last Cowboy Song など。

そのなかでも、「ママとカウボーイ」1975、は今でも人気のある曲だ。エド・ブルースEd Bruce1939、アーカンソー生まれ,作曲。

Ed Bruce

Mama Don’t Let Your Babies Grow Up Cowboysは逆説的な歌詞だ。
「ママたち、君らのあかちゃんは医者か弁護士に育てろ、カウボーイは駄目だ。カウボーイはローンスターバックルの古びたリーバイスにピックアップトラック、彼らは愛を育てられない、気に入らないと、走りさると・・・」
エドは[The First Taste Of Texas]と言うバラードや、タニア・タッカーTania Tuckerの「Texas When I Die」 作者で有名になった人だ。
ママとカウボーイは4分の3拍子、難しい曲だ。ウイリー・ネルソン、ウィロン・ジェニングズWaylon Jennings、Johnny Cash, Kris Kristofferson 4人のOut Lawsの共演。
彼らは1970年代後半、「ハイウエイマンHighway Man」と名乗っていた。

作曲者ではサンガー・D・シェーファーSanger Shafer1934-2019,
ウィットニー、テキサスWhitney Texas 生まれ、がテキサスを舞台にした良い曲を幾つも書いた。

That The Way Love Goes 1973
Something Special 1975
That The Way Love Goes Tohnny Rodribues
Does Fort Worth Ever Cross Your Mind 1985   Gorge Strait
All My Ex’s Live In Texas s  1986  Gorge Strait
I’ll Break Out Again Tonight
I Wonder Do You Think Of Me など。

‘80年代半ば、Gorge Strait はシェーファーの2つの歌が大ヒットした。両方ともとてもしゃれた曲だ。
「All My Ex’s Live In Texas」は4人の元妻、ロザンヌ、アイリーン、アリソン、デンプルがテキサス中に広がっているので、自分はテネシーをうろついている、と言う情けない男の話だがコミカルだ。
元妻たち、EX’SとTEXASの韻を踏んでいる。有名な顔が沢山見えるLiveだ。

そして、ストレートの真骨頂・・ダラスとフォートワースに別れる男女の歌。Does Fort Worth Ever Cross Your Mind

歴史的には、創成期、主に、第二次大戦後、現在のテキサスサウンドの潮流がみられる。
ボブ・ウィルスJames Robert Willes1905-1975年、テキサスプレーボーィズTexas Play Boysとレイ・プライスRay Price(チェロキーカウボーイ)1926-2013年、バリトン、の2人が初期と思いつく。

Bob Willis

この2人はクリント・イーストウッドの映画「ホンキートンクマン」の中、ラジオ局でコラボしているシーンがある。ウィルスは役者、
プライスは本人が演じていた。
ウィルスはとてもテキサス的な人で、元はブルーグラスだが、カントリーとスウィングをコラボさせ、新しいサウンドを作った。また、「フェーディド・ラブFaded Love」や「マイ・シューズ・キープ・ウーキング・バック・ツゥ・ユウ」などのバラード曲の作者でもある。プライスはラスベガスのショーのカントリーサウンド初期の人気アーティストだった。

この時期、テキサスからは大勢の男性アーティストが出た。
盲目のレオン・ペインLeon Payne、エルビスと並ぶロイ・オービソンRoy Orbison、
ジョニー・ペイチェックJohnny Paycheck、レフティ・フィズルLefty Frizzle、この2人は裁判に掛けられた本当の無法者だった。
そして、ロッドニィ・クロウエルRodney Crowellとクリス・クリストファーソンKris Kristoffersonなどだ。皆テキサスの生まれだった。
(これらの人々はテキサス第2章で説明する。)

今、流行りの一人はトビー・キースToby Keith1961年、生まれはオクラホマだが、もろにテキサスだ。

テキサスは僕の好きな映画、サム・ペキンパーSam Packinpah1925年生、の「ワイルド・バンチWild Bunch」「ゲッタウエィGet Away」の舞台だ。
ワイルド・バンチは1969年の映画だが、今でもよく見る。
テキサスとメキシコ国境が舞台だ。主題曲は「ラ・ゴロンドリーナLa Golondolina」
1862年のメキシコ歌曲で、メキシコ鉄道が楽譜を作りテキサスに配った。他のメキシコ楽曲と同じようにホンキートンクでピアノ演奏された。
今はアメリカでは演奏されないが、古くはテキサスの音楽に影響を与えただろう。プリズンソングだ。囚人が燕を唄う悲しい歌だ。

テキサス州は銃社会である。キャスル・ドクトリン州の代表格だ。
銃を持たぬ者は人にあらずと言う感があるそうだ。
勝手にアメリカ社会を語るなら、テキサスがカルフォルニアのような似非リベラル州になったとき、アメリカ合衆国は終わる。
歌は心で唄うと言う原則は、テキサスの広大な大地と自然、多様な人々の生き様、愛、苦難、希望の全てがカントリーミュージックの糧となる。あらゆる面で無限の可能性を秘めているのがテキサスだ
僕はもう一度テキサスに行き、カントリーミュージックを楽しんで来たいが。コロナ過で見通しは立たない。
目黒道元坂に「リトルテキサス」というライブハウスがある、先日前を通ったがどうなっただろうか?
(まだまだテキサスは語り尽くせない。この項2章につづく)