10、音楽は人生で何を意味するか?

音楽好きは2020年春から初夏のコロナ騒動では迷惑被った。プロの人達はオーケストラを始め、ライブハウス演奏家、レッスンプロ全て収入に関わる一大事だった。家で音楽を聴く、演奏する、するなども満足には楽しめなかった。レッスンも駄目、カラオケも閉鎖、そしてミュージシャン周辺の人々はアマも含本当に参った。
そんなことで自分はどうだったかと言うと、レッスンは4.5月中止、ジャム(仲間で集まり行う演奏)も3.5月中止。家でもあまり音は出せないと言う環境。古いCDをアマゾンで
注文していた。

そうような期間、カントリーミュージックと言うジャンルではないが、僕が音楽との触れあいで印象に残っている事象は幾つかあった。良い思い出も、悪いのも。

悪い思い出は、
ニューヨークにいた1995年の春だった。大学、ゼミの友人が大手電子企業現地責任者でロングアイランドにいた。僕の上司、本社役員が紹介してくれと言う。彼が行っても会えないからだ。(NEC奥村君の訃報を先週知った)
丁度、日本の卒業・新学期、皆、家族は日本に一次帰国している。
役員の費用で、「ルサーク」で食事した。乾杯していると、隣の席にカップルが案内されてきた。
一流でもニューヨークレストランは狭い、隣とは密だ。タキシードを着こなした客と
眼があった。「ポール・アンカ(Paul Anka)赤いドレスの人は妻だな、何かの記念日だなと一瞬に判断した。彼はにこやかに僕らに笑いかけた。

ポール・アンカ

「Excuse me, Mr. Paul Anka?」と発したら、更ににこやかに彼は笑い返す。
「あなたの’77年武道館コンサートに行きましたよ」と二言三言話した。
良い思い出だった。彼の歌は、「ダイアナ」も、「君は我が定め」(You Are My Destiny)も好きだし、何よりも「MY WAY 」の歌詞が良い。あの布施明のマイウエイ英語版だ。

問題は翌朝だ。役員から「昨夜の彼は誰だ?お客に失礼ではないか・・」と
言うのだ。「何かCMでも使えるかもしれませんよ」とはぐらかした。
ポール・アンカも知らない、音楽を理解しない人間に幾ら話しても無駄だからだ。ちなみに昨夜は僕には友人で客ではない・・
あんな訳の分からないジジィとよくぞ我慢して仕事をしていた・・ポール・アンカ、今は曲を聴く機会はあまりないが、あのジジィの家の前を(散歩コースに住んでいる)通る度に思いだす。カントリーミュージックではないが、ポール・アンカは青春の思い出だ。

もう一つの思い出は良い。
2007年の初夏だ。この春、二度目の定年で仕事を完全に辞めた。
コネチカット州の家とジープはまだ持っていた
初夏の天気の良い日。妻と滞在していた家からマンハッタンに出た。昔住んでいた、
セカンドアベニューと58丁目角の駐車場に入れて、五番街に出て、その辺りで
食事もした。五番街を歩いていたら、突然、上着が邪魔になり、脱いでゴミ箱に捨てた。
せいせいした。59丁目まで来たら、人が集まっていた。
「パリス」と言うフランス映画専門の小さな映画館だった。
何をやっているのかと見たら、エデット・ピアフ (EDITH PIAF)
の映画だった。ポスターを見て直ぐに理解した。恐らく最後の切符だっただろう、一番前の席だった。
観客はこの辺りに住む、中年以上のカップルがほとんどだった。上品な人々だ。
トランプさんも住んでいたが。

エディット・ピアフ

映画は素晴らしかった。英語題は「ラ・ビアン・ローズ」フランスの題は「チビ」、邦題は「愛の讃歌」だった。ピアフが小柄だったので原題を付けたのだろう。
リリアン・コチアールがピアフを演じて、ピアフがNYに出てきてからのシーンが長かった。
ピアフの歌は英語版もありアメリカでもとてもポピュラーだ。
ラ・ビアン・ローズ(バラ色の人生)La Vieen Roseは多くのアメリカン歌手も唄っている。
愛の讃歌Hymme’a L’Amou。も良かった。

この映画を観てせいせいした。映画も観客の反応も素晴らしかった。
この映画とマリオン・コティヤールはアカデミーを取った。

帰りもジープの窓を開けて、木洩れ日の中、ケントに戻るドライブしたのを覚えている。
人生、いろいろ楽しみはあると。

仕事でJVCジャズフェスティバル、トヨタ、パナソニックにクラシックコンサートを手掛け、世界各地に行ったことは忘れられない。
齋藤記念オーケストラ、小澤征爾指揮がブラッセルで行ったコンサートはリハーサルに立ち会い、終了後、楽屋にも行った。

おいおい書くが、音楽を無視するような生き方や態度は無残だ。
コロナの昼オケも問題になったが、気持ちは分かる。人生に音楽は程度の差はあれぞ重要な要素だ。