11、ウエストコースト・サウンドの勃興

2020年6月、一年前、行ったLAとベーカーズフィールドを思い出している。
その時に感じたのだが、広いアメリカ、
音楽は人の移動や定着と強い関係があった。産業と人間、音楽活動の結果を考え合わすと、その起源はアメリカ大恐慌にあった。

大砂嵐、1930年代前半

「大恐慌」に加え、1930年代前半には「ダストボール」(Dust Bowl)、中西部大平原地帯(Great Plains)、アーカンソー、オクラホマ、テキサス州で農耕地から頻繁に発生した大砂嵐のため、これらと周辺からカ州に350万人が移住した。ジョン・スタインベックの小説、「怒りの葡萄」(Grapes of Wrath)1939年はそのような家族をテーマにした。翌年、ジョン・フォード監督で映画化された。多くの西海岸サウンドの人々もそのような過程でカ州に移住した。

「怒りの葡萄」ポスター

またこの時期、人間と同じくアメリカ産業は西に移動した。加えて第二次世界大戦の勃発で農業、牧畜、森林業だけでなく、造船、工業、エネルギーそして軍組織の西への移動があった。その傾向は戦後、1950、60年代まで朝鮮戦争、東アジア情勢から続いた。

人々が移動した地域はカルフォルニア州が中心だが、音楽は特性から、北はアラスカから、カナダコロンビア、ワシントン、オレゴン、ネバダ、ユタ、アリゾナ各州の帯状だ。この帯はミュージッシャン活動や移動からも言える。地政学的にはそんなところだ。そして、西海岸の特徴的なところは、二つの中心があった。
ハリウッド」、ロサンジェルスは映画とエンタメの都であり、「ラスベガス」は言いまでもなく娯楽の中心だ。

ハリウッドは映画だけでなく、音楽をはじめあらゆる娯楽が1930年代から栄えた。
さらに版権会社、レコード会社、録音スタジオなどエンタメビジネスが集まった

ラスベガスは1930年代、連邦政府プロジェクト、フーバーダム建設労働者娯楽の地と
して発足し栄えて、現在に至る。労働者用の「ホンキートンク」が発端だ。
映画「ゴッドファーザー」にあるようにタレントのショーに合法的な賭博、そして
プロスティテュートも。僕は思い込みでラスベガスを究極のホンキートンクと言う。

ラスベガスからロサンジェルスに向かうと、途中、バスト―で「ベーカーズフィールド」の道路標識が出てくる。地理的にラスベガス、ロス、ベーカーズフィールドは三角形を成している。

1930年代前半、アラバマ州から家族10人でヒッチハイクをしてカルフォルニア州に移住した、マドックブラザーズ(Madox Brothers)は苦難の旅をして、そこで音楽で生きた最初の世代ではないか。5人の兄弟と妹(Rose)は1940年まで活躍した。
兄弟は太平洋戦争で各地に行き、復員したあとは別々に、ローズは歌手として
長く活動した。

1940年代後半、地域の庶民、ワーキングクラスが外食、外飲、音楽、ダンスを広く頻繁に楽しむ余裕が出来た。そして地域的なサウンドがそこに生まれて拡大した。
ベーカーズフィールドでは大恐慌後も産業が栄えて。今は「そこそこ」だが、カ州では異色なところだ。わずか2時間ほどの距離だが、LAとは一線を画した田舎だ。
ここに人々が移住してきて産業活動の本拠とした。同じくミュージッシャンはオクラホマ、テキサス、アリゾナ州を始めほとんど全国から各地のサウンドを持ち込んだ

現在の街のサイン

資料では1930年代、他州から移転してきた、もしくは出稼ぎに来た人々が過ごす、レーバーキャンプ」と呼ばれるところの、テラスや庭、納屋などでの演奏活動が元だと言われている。
農業や牧畜は「フェアグランド」と呼ばれる広大な場所で、ステートフェア(一種の品評会)、またロデオがある。そういうイベントには音楽とダンスは欠かせない
以前、ジャズフェスティバルの仕事でモントレーのフェアグランドに行ったことがあった。
季節的に空いている期間も各種音楽イベントをやる。

やがてベーカーズフィールドには農業に加え石油産業に従事して定着した人々が楽しむ、
カフェ、ホテル、レストラン、ダンスホール、ライブハウスが栄えた。
そういう一つの例、「ブラックボードカフェ」(Blackboard Cafe)の外観と内部だ。
1950年代初頭、ここにトラック野郎のための伝言板があったそうだ。
今はバイカーの聖地となっている。近所でHDのバックルを買った。

またメディアの発達も重要な要素だ
’30年代のラジオ、’50年代のテレビ、’90年代からのインターネット、録音、録画などの技術、カルフォルニアは絶えず新しいメデイアの牽引役だった
ステレオとかSP、LPそしてレコードのシングル、アルバムの発売も。CD,ダウンロード、ユーチューブなどだ。

現在の西海岸サウンドにはハワイや沖縄が影響を与えている。ライブハウスのチラシなどを見るとハワイや沖縄ミュージッシャンの名がある。
カントリー以外ではバッカルーズ(Buckaroos)などと同じ時期、LAのサーフィンサウンド「ビーチボーイズ」(The Beach Boys)1962,
タコマ、ワシントン州から「ベンチャーズ」(The Ventures)1959などが結成された。
内陸だが、サーフィンのポスターを見た。ベーカーズフィールドの北の農地に人工サーフィングプールがあるそうだ。ベンチャーズはバッカルーズのサウンドを参考にしたと言われている。また、
映画「バックトウザフィチャー」(Back to the Future)1985に1955年のカ州サウンドがでる。チャック・ベリー(Chuck Berry)のスタイルだった。
現在に至るまで多くの要素が音楽に加わり絶えず新しいサウンドが生まれ育っている

なお、ベーカーズフィールドを代表するミュージッシャン、バック・オーエンス(Buck Owens)
とマール・ハガード(Merle Haggard)は「人の項」で述べる。

(この項以上)