9、ホンキートンク以前のカントリーミュージック

カントリーミュージックのルーツとしてホンキートンクを挙げた。
ではホンキートンク以前、時代的に初期、19世紀末から20世紀初頭にかけて欧州から来た音楽はどういうサウンドだったのか?
言葉で言うと1マウンティン・ミュージック(Mountain Music)
2 ヒルビリー・ミュージック(Hillbilly Music)
3 ブルー・グラス(Blue Grass)と並んでいる。
山から丘(Hill)、そして草(平原,Plane)と段々に降りて来た訳だ。3が緑(Green)でなくて青(Blue) となっている。

ノースカロナイナ州HPよりブルーリッジ


1990年代にNYからアラバマに車で3回往復したことがあった。ペンシルベニアからアパラチア山脈の尾根を延々と走る。良いルートだ。ノースカロナイナから段々に下がって来て、そして平野に出た。初夏の山も丘も平野も緑が綺麗だ。青ではない。ブルーは歌では「悲しい」だ。音楽が人生の悲哀を唄うなら、草もブルーなんだろうが、僕の解釈だ
(友禅なら草色は多種で青もある)
ブルーグラスの演奏方式は伝統的な楽器とコーラスだ。現在でもこのサウンドはブルーグラスだ。以下は伝統的なブルーグラスの楽器編成の
ハンク・ウイリアムスの「アイ・ソウ・ザライト」(I Saw The Light)

ヒルビリー、かって「チバビリ―」などと日本でも使われたが「田舎」と言う意味だ。
ビリ―(Billy)はフォーク(Folk)と同じ「ひと」と言う意味だ。
下は「ヒルビリー家族」と言う写真。楽屋だろう。
今は差別用語的な扱いであまり使われない。

でもヒルビリーは直接、カントリーと同意語だ。

マウンテインはアパラチアだけでなく、開拓地域が広がると、ロッキーとかリオ・グランデに広がった。だが、代表的なのは、アメリカの秘境、ウエストバージニア(West Virginia)を指すらしい。アパラチアに来た音楽はスコットランドの中心にした英国周辺と言うが英国周辺の歌が元になっているのは明らかで、それに欧州各地の音楽が合流した。
西に向かうに従いホンキートンク的要素が加わった。(以上)