1、ウィリー・ネルソン

Willie Nelson 生年1933年―87歳

僕が会社の研修留学でロス・アンジェルスに渡った1975年、そこで初めて購入したLPが彼の「赤毛の流れ者」(Redheaded Stranger)だった。このLPは僕の好きなものの一つCDで今でも聴いている。

ウィリーの書いた曲は多くの有名歌手が歌い、良い歌が多い。
ウィリーはテキサス州アボットの出身で、母親が家出して、姉ボビーと2人は祖母に育てられたそうだ。チェロキーと英国系だ。インデアン風ヘヤーはそこからきていた。
ボニーは恐らくウィリーの面倒を良く見たのではないか。彼女はピアニストでウィリーの初期のバンドで力強い演奏を聞かせて呉れた。
僕がウィリーの東京コンサート(1984年フェスティバルホール)で聴いた時はボビーのピアノはとても印象的だった。

(アルバムHow Great Thou Artより10代の頃の2人だろう。)


このコンサートは日本での最初の最後だが、聴衆にアメリカ人が多かったのには驚いた記憶がある。ボビーはめったに顔を出さない。
1980年、映画「スイカズラの花」(Honeysuckle Rose)に演じた役者の顔で出た。最近のアルバムは彼女が演奏していない。
ウィリーは生まれも育ちも容貌も自信がない、そこが歌の原点のようだ。人生は結婚生活、確か2-3回離婚、息子の自殺、国税に追い回されたことなど良いと思うと悪い、波乱万丈の人生だ。現在はマウイ、ハワイ州に住んでいるそうだ。僕は10年ほど前マウイのフリーマーケットで銀の立派はコンフィダレート旗(南部連合)バックルを手に入れた。


ウィリーはギターの名手であるが、そのギターはカントリーミュージックには珍しいガットギターで、胴に穴が開いている。
それには「トリッガー」(銃の引き金)と言う名がある。

他の有名歌手とのコラボが得意だ。それが飽きられない一つの理由。

(1988年、アメリカン航空の機内誌表紙、有名人のキャンプと言う記事があり、彼がコルト・45をベルトに、彼が一番勢いあった頃だ)



ジャズとのクロスオーバーも上手だ。
僕が現役時代、NYのフェスティバル・プロダクション・インクの創立者ジョージ・ウィーンと話した。ニューポートジャズフェスティバルに彼を起用できないか、と言うことだ。最近、ユーチューブでマルサレス兄弟との共演を見た。
ナッシュビルサウンドとは一線を画すと言う姿勢もあったが、今は
大人しい。
彼のサウンドはボビーのピアノが特徴的だが、自分のガットギター、
それにハーモニカなども入れ、また様々なリズムに対応している。
コラボではジョーニー・キャシュ(Johnny Cash),ウィロン・ジェニングス(Waylon Jennings),クリス・クリストーファン(Kris Kristofferson)この3人とはハィウエーマン(Highwayman)と呼ばれるグループを結成。そしてウィロンとはWW2を。
テキサスのこの頃の活動は「アウトロー・カントリー」と呼ばれていた。また、プログレッシブとか、オルタナテイブとか、そういうサウンド、僕はあまり好きではないが。
異色なところではレオン・ラッセル(Leon Russel)
そして、キミー・ローズ(Kimmie Rose)との「Just One Love」と
言う優れた作品はアルバムの項で記したい。

映画の項に書くが1979年の「電飾カウボーイ」(Electric Houseman)
そしてその翌年の「スイカズラの花」では主役を演じた。
この映画をはじめ、ドラマなど沢山出演している。映画の項で記す。
映画の本人役で主演している作品を見るに、彼は器用な人間ではないと感じた。
社会活動に熱心で様々なことをやったが歌、We Are The Worldで有名なアメリカ農家を助ける運動、ファーム・エイド(Farm Aids)が代表的。

彼自身が書いた曲では、

  • My Own Peculiar Way
  • Yesterday’s Wine
  • Crazy
  • Angel Flying Too Close To The Ground
  • Always On My Mind
  • On The Road Again
(本の表紙にもなった)

まさに代表的、カントリーミュージックのお・と・こ・だ。