19、貧乏人のカントリーミュージック

歌に限らずあらゆる芸術的な活動の源のひとつは貧乏ではないか。
創作意欲はどん底からの上昇志向ではないか、と僕は考えていた。
特にカントリーミュージックは、南部の白人、レッドネックとか、プアーホワイトと呼ばれた人々はそういう傾向であったのではないかと?
第二次大戦前、南部から中西部は大恐慌、大砂嵐(ダストボール)の
影響で人々は苦難を強いられて、生活できる土地を目指し移動した。そんな時代に生まれ、育った人達は第二次大戦に掛けての世の中の激動、さらに家庭崩壊などで生活が困窮した人々がいた。
不思議なことにカントリーミュージックでは貧乏を直接テーマにした歌はほとんどないと言っても良い。
貧乏から起こる現象、失恋とか飲酒とか別れ、がテーマになることは多い。その点、カントリーミュージックは歌を楽しむと言う観点から深刻にならず、練れていて優れた音楽だ
例えば、ハンク・ウイリアムスが唄った、「マンションオンザヒル」Mansion On The Hill身分の違う男女の話だ.
シャロン・ホワイトSharon White 1955年フォートワース・テキサス生、と若いころのRicky Skaggsのブルーグラス調演奏だ。この曲はハンクが、リリックスはフレッド・ローズFred Roseが書き、後に版権問題になった。歌詞が3番まであり状景描写が良い。

社会は時代により生活水準の内容は変化しているが、米国で第二次大戦後に水道がない、屋内トイレがない家、子供は靴を履いてない、との状況はかなり貧乏だったのではないか? 
何度か書いたがロレッタ・リンLoretta Lynn, 1932年、ケンタッキー州,ブッチャーズホロー(屠殺谷)の炭鉱夫の娘として生まれ、育ち14歳で結婚するまでだったが、歌の中で夏の間は裸足で、冬になり兄弟姉妹全員に新しい靴がいきわたると唄っていた。
そして女性の貧困は、稼ぎの悪い夫と子沢山だ。ロレッタはそれを
ウーマンリブとは対極にいる女として唄った。またまた生まれてくる子がまた双子でなければ・・と言うOne’s OnThe Way

ロレッタはパッツイ・クラインPasty Cleinに気に入られ衣装から下着まで貰ったそうだ。もう一人、パッツイが可愛がったのがブレンダ・リーBrenda Leeで、2人はパッツイの後を継いで有名になった。
ブレンダ、1944年、ルイジアナ州生、は育った家には水道も屋内トイレもなかった。トイレは田舎では日本でもアメリカでも戦前は家の外の小さい小屋だった。
僕が1990年代後半から2000年代初頭に持っていたコネチカット州田舎の1925年に建てられた煉瓦の家は煙突がそびえ、地下に井戸があったが、トイレは1949年まで外だったそうだ。
ブレンダは、そんな存在の女の恋、I Am Sorryを唄った。

マーティ・ロビンスMarty Robins1925年フェニックス郊外のアリゾナ生、バック・オーエンスBuck Owens1929年テキサス生、アリゾナ育ちも貧乏だった。トラック運転手をしていた時、2人は顔見知りだったそうだ。
マーティはインデアン系の母、10人の子供のひとりで、父は早く死んだので苦労した。女性との別れも金の切れ目が縁の切れ目みたいなこともあっただろう。Marty Robbinsの俺の存在はそんなに忘れ易いのか、と言う歌、Am I That Easy To Forget

タミー・ワィネットTammy Wynette1942年、ミシシッピ州生、は幼少のころよりトイレ、水道のない祖母の家で育つ、高校卒業前に結婚、亭主がロクデナシで相当苦労した。美容師の資格があり、ライセンスをまた貧乏になることを恐れ、毎回更新していた。しかも
三女は障害児と、酔いどれのジョージ・ジョーンズGeorge Jonesと6年間も結婚していたとか、人生、山あり谷ありの人だった。
彼女のヒット、D・V・O・R・C・E, 離婚してお互い幸せに豊かになる人達は男女とも少ない。男はダラシナイ、そして破局はとても一般的だったので、この歌は多くのファンの共感を生んだ。

バック・オーエンスやマール・ハガードの本を読んでも、彼らは
1950年代、20代後半は相当に貧乏で職を探し、住まいを探し、家族を維持して、ほとんどホームレス、または犯罪をしてしまった。
それでも何とか、音楽で身を立てる、更に彼らの苦難を歌にする、と言う目的意識が強かった。Merle Haggard Working Man Blues
子供が9人いて、仕事はキツイが夕方にはビールを飲むと言う内容で、黒人ブルースのような家賃が払えないと言うような愚痴はない。

バックは子供の頃、火事で一切合切失ったが教会寄付の古着は元の衣服より良かったそうだ。マールは貨車の板で作った線路際の家で育った。
この時代の人々をみるとウィリー・ネルソンも両親がいない家庭、
歌を書く職を確立するまでどんな苦労をしていたか?
彼ら1960年までに歌手になった人達の話を読むと、自助意識が強い。
そして仲間を助ける互助意識も。
現在のミレニアムの人達たちはどうだ。
大体がおぼっちゃま、お嬢ちゃまになってしまい、父親が歌の版権を買ってくれた、デビューさせてくれた、大学で音楽の学位をとってなど1960年代頃の人々とは大違いの環境で育った。これは社会の変化だったであろう。
僕はカントリーサウンドの元は苦難であり、そのひとつが貧乏だと感じていたので、若干、ミレニアムサウンドは物足りない。
じゃ、お前はどうだ?と言われば、僕の時代、日本は社会全体が貧しかった。だから富と貧の格差はなく、皆が貧しかった。そんな時代を生きた。だからカントリーミュージックが好きになり、少しは理解できる。
カントリーミュージックには生活の貧乏はあっても心の貧乏はない。(この項以上)