14、レイ・チャールスのカントリーミュージック

レイ・チャールスRay Charlesは黒人、盲目のリズムアンドブルース歌手だった。1930年ジョージア州生まれ、2004年没73歳
僕は1980年代後半、JVCジャズフェスティバルの仕事でニューポートにおいてフェスティバル・プロダクションインク・ジョージ・ウィーン氏、立ち合いでクライアントになり替わり挨拶したことがあった。レイはその前年に会った、マイルス・ディビスよりも更に怖い人だった印象がある。
マイルスにはジロッと睨まれたが、レイは首を回してニタッとした。
1980年の映画「ブルースブラザーズ」の楽器店主役、店主は目が見えないが、黒人の子供がギターを盗もうとすると拳銃で撃つ、あの顔だった。

Ray Charles 1980

リハーサルの時に本当に文句を言われた。クライアントさんのサインにストロボが入っていたのだが、その音が邪魔だと。
彼にはカメラストロボが禁止だったから当然駄目だっただろう。
演奏は定番の「メス・アランド」Mess Aroundで始まり最高だった。
彼のファンは多くが白人上層の人なのだ、と聴衆を見ていて感じた。白人上層はカントリーミュージックにはあまり関心がない

映画ポスター

2004年、彼の伝記映画「Ray」が公開されたが、その年に死んだ。
「ローリングストーン誌」あらゆるジャンル100人の歌手、上位にランクされている。彼を見る限りアメリカ黒人差別は過去の話だったが・・・。
映画「レイRAY」はテイラー・ハックフォードTaylor Hackford監督、レイをジエィニ―・フォックスJammie Foxxが演じて、ジェィニーが自分でピアノを引き唄った曲も幾つかあった。DVDを持っている。
ジェイミーはこの役でアカデミーを受賞した。良い映画だった。
話は、戦後、レイはノルマンディ復員兵と言う触れ込みで当時流っていたエディ・アーノルドEddy ArnoldのエニータイムAny Timeをバスの中で教えたり、カントリーバンドのピアニストを、「黒人かよー」と言う中,カントリーリズムでピアノを弾いたり、このオーデション場面は笑わせたが、していた。
カントリーミュージック好きな黒人音楽家だった
ジェイミーが自分で唄った曲、
ユゥ・ドント・ノウ・ミーYou Don’t Know Me1964
は女性ライター、シンディ・ウオーカー作曲の歌だ。
彼は1960年代に以下のように多くのカントリーソングズを唄っていた。そうそうたる人達の歌だ。
ボンーン・ツウ・・ルーズBorn To Lose 1962 Marty Robbins
ユーアーマイサンシャインYou are my sunshine 1962 Davis知事
クライングタイム1964 Buck Owens
トゲザーアゲイン1964 Buck Owens
アイ・キャント・ストップ・ラビング・ユウI can’t Stop Loving You Don Gibson
バスタードBustard Johnny Cash
ハーフアズマッチHalf As Much Hank Williams
テイク・ゼィーズ・チェインズ・フロム・マイハート
Take These Chains From My Heart, 1963 Fred Rose作が良い。
フレッド・ローズが書いてハンク・ウイリアムスが唄った歌だ。
ピアノの間奏が長く、ホンキートンクな感じで楽しめる。独特な体の振りでリズムをとり、バックコーラスの女性たちに、レイは次々,手を付けたらしい。

特記されるのは1966年、バック・オーエンスが作った、2つの名曲、
Crying TimeTogether Againをレイが唄い、大ヒットしたことだ。
彼のオリジナルだと思っている人もいるくらいだ。
偉いのはバック・オーエンスだ。当時、どこの馬の骨とも分からない、レイにこの歌を唄わせたことだ。
ハンク・ウイリアムスの歌では1980年頃の演奏だろう、ユア・チーティング・ハートYour Cheating Heartが良い。ピアノ演奏も、アドリブ、「Don’t you remember me?」「Just like me!」など感情を込めた。
1970年代新しいカントリー曲は出してないが、コンサートでは唄っていたようだ。

彼のカントリーミュージックは「黒人の」と言う言葉をつけると語弊があるサウンドだ。彼が唄った以上の歌、黒人は主には聴かない。白人の音楽だ。
ウイリー・ネルソンとのコラボ曲、「セブン・スパニッシュ・エンジェルス」Seven Spanish Angels 1982を2016年CWAの表彰機で、僕が好きな2人の歌手、デワィト・ヨーカムDwight Yokamとクリス・スティプルトンChris Stapletonと妻Morganeの演奏を聴くと、レイのパートをデワイトが唄ったが、レイは白人感覚だったなーと思う次第だ。
ウイリーのアルバム「オールウエーズ・オン・マイマインド」にある曲だ。デワイトとクリスはレイとウィリーを超えた
CWAの演出、この曲のプロデュースは歌の無限の可能性を示した。 
満員の聴衆にターミネーター、シュワの顔も見えた。

映画「レイ」を見ると記憶に残ることがある。
ひとつは彼が7歳で視力を失った直後、施設で先生が彼に音楽と楽器演奏を教えるシーンが感動的だった。彼はあの時、音楽を学ばなかったら、惜しい才能が開かなかった。1930年代の話だ。
もうひとつは下の映画のシーンにあるが、米国の白人と黒人は娯楽でも、教会でも自分たちで住み分れてきたのだ。混ざることはまずない。誰かがそういうシーンを捏造してきたのだ。
レイはその中でも珍しい、白人にも黒人にも受けたエンターティナーだったと思う。ホァットアイセイWhat I Say はレイの初期、1959のロックアンドロール。映画のシーンだ。

カントリーミュージックは白人の音楽だ。でもレイの存在は、音楽の
原点は人種や民族に関係なく、人間の心に訴える力だと感じた。
(この項以上)