3、日本人のカントリーミュージック

先月、僕の予定はラスベガスとテキサスに行き、ライブハウス巡りをするはずだった。それどころか、日本では僕が好きだった東京のライブハウスの閉鎖が続いているようだ。
それで、コロナ騒動をきっかけに、カントリーミュージックをやった日本人はどんな人達だったのだろうと、思い出してみた。(2020年7月末)
日本のライブハウス訪問記はまた別に書く

日本の洋楽、アメリカ系、ビッグバンド、ジャズ、カントリーミュージックなどはほとんどが進駐軍からだと、会社の大先輩、ハットリ・ヨウゾウさん、4人奥さんがいた、から1980年代後半、海外出張に行くときに機内で聞いた。
進駐軍のエンタメを日本人が基地の内外で演奏し唄ったのだ。FENがそれに輪を掛けた。
ヨウゾウさんは進駐軍エンタバンドにいたギタリストで、歌も上手かった。
彼の英語はパングリッシュ、人格的には尊敬できる人物ではなかったが、話は面白かった。

それで思いだしたが、僕が学生の頃、ジミー・時田と言う、カントリーシンガーがいた。
彼も進駐軍エンタバンドにいた。
英語は本格的で進駐軍以上だった。しゃべり、声、はとても良かった。
「マウンテン・プレーボーイズ」と言うバンドをもち、「ハンクもの」を唄った。
しかし今、聴くと、オリジナリティがないのだ。これは残念だった。
斉藤ちやこと言う着物女性が「Dear Johns Letter」を真似していたが下手だった。
そもそもカントリーは着物で唄うものではない。

寺本圭一と言うミュージッシャンもいた。彼はウエスタンソングだった。「日劇ウエスタンカーニバル」と言うイベントのスターだった。当時、日劇の前は良く通ったが入ったことはない。
銀座ACBや不二家には原田 実とワゴンエースが出ていた。カウガールスタイルの女性歌手がいた。彼女は上手だった。

20世紀の後半、ナッシュビルにハンク・佐々木さんと言うオジサンがいた。
カントリー曲を作曲、作詞していたシンガーソングライターだった。
1937-2015年福岡生まれ 声が良く、英語も上手だった。何でも日本でライブハウスをやっていたが、渡米したとのことだった。幾つかを出版した。

その他何人かの日本人が活躍していた。
タカヒロ・サイトウさん、現地で唄ったがどうしているだろう?ジョニー・キャシュにショーに出た。

仕事で日本人ジャズミュージッシャン日野皓正さんに出て貰ったことがある。1980年代後半。NY、「ブルーノート」に打ち合わせに行ったことが記憶にある。
ジョージ・ウエーンによれば「日野は上手い。でも上手いのは沢山いるのだ」と
言うことだった。洋楽の日本人の立ち位置はクラシック以外では難しい。
ジャズは20世紀初頭、白人でも難しいと言われていた。
カントリーはほぼ白人で、黒人はチャーリー・リッチCharry Rich、一人。
メキシカンがようやくで、極論すれば日本人を捨てねば現地では成り立たないと思う。
南部に日本人が観光用ライブハウスを経営して自分で舞台に立った人がいたが例外だ。
彼はビジネスとして成功していた。

では日本ではどうかと言うと、僕が注目したのはJAPANESE BLUEGRASS BANDと言うグループだ。フィドルの岸本さんがブルーグラスサウンドを語ったものを見たが、論理は彼の言う通りだ。
ギター・ボーカルの笹部 益生さん、声が素晴らしい。ベースの藤村さん、バンジョーの有田さん、ギターの家永さん、フラットマンドリンの太郎さん。弦楽器演奏水準がめちゃめちゃ高いのだ。笹部 益生さんは「ブルーリッジギター」の日本代理店だ。
ボーカルのハーモニーも素晴らしい。コリアでステージに上がっていたが恐らくこのままブルーグラスの本場に行けば注目された。
この歌、Nobody’s Daring But Mine, 良い曲だ。ライターはジミー・ディビスJimmie Davis知事(ルジアナ州)1899-2000年、この曲はラブソングと言うより、彼のユー・アー・マイ・サンシャインYou Are My Sunshineのようにゴスペルとの間の曲ではないか?エミールー・ハリス版が良い。

彼らはビル・モンローBill Monroe1911-1996マンドリン奏者、のスタイルで演奏していた。
アメリカでも本格的ブルーグラスは難しい。1960年代にフォークブームで盛り上がったが活躍地域は限られている。最近は若者のグループを良く見る。(このサイトでは、「思い込み論 9、ホンキートンク以前のサウンドで、Ransomed Bluegrassと言うグループを取り上げてある。」
アメリカで、ブルーグラスが各地サウンドになった成功例は、テキサスのビル・ウィルスBill Willis、カンサスのリッキー・スキャグスRicky Skaggs ,マンドリン奏者だ。

日本人は真面目だからブルーグラスサウンドが好きだ
ブルーグラスはアメリカ人のルーツ、伝統にせまる歴史を感じる。

さらに日本人のブルーグラスサウンドを探すと、東北大学ブルーグラス同好会に行き当たった。若者がブルーグラスを演奏して歌っているのだ。
いろいろなところで女の子が中心となり演奏している。個々の楽器は上手だが全体のバランスやひねりや掘り下げが不足。しかし随分大勢の学生がさまざまな弦楽器を演奏できる。
ブラス楽器、今井タヌキ先生の日本吹奏楽連盟で多く人達がラッパを吹ける。
この若者の活動を観ていると明るさを感じる。日本も捨てたものではない。
日本ではマンドリン、バンジョーの演奏者は多く、その水準も高い。と感じている。
東北大以外にも名古屋大、神戸大などにブルーグラスのサークルはあるが、他の私大を含め大学にはカントリーミュージックサークルは見当たらない。

アメリカは現在、コロナで深刻な状況にある。建国以来、南北戦争に次ぐ国難ではないか?
社会がおかしくなりつつある。伝統を否定している。
そんななか黒人が入れないカントリーミュージックが生き残れるかは課題だ。

そして、日本人がカントリーミュージックをやる、これは至難のことだ
英語の理解、楽器が弾ける, 唄える、だけでは条件にならないと思う。
アメリカ田舎白人、ワーキングクラスにならねばならない。彼らは、
クリスチャン、できればサザンバプテストだ。あらゆる人生の苦難を経験して、
差別やコンプレックに耐えた人生で、パートナーは次々とビッチな白人女だ。
アメリカ人にもいろんな奴がいるが、以上のような条件で、ユダヤ人や黒人ではカントリーミュージックは無理だ。チャーリー・リッチは黒人でもなくなってしまった。
アメリカ人の定義は広いが、外人カントリーミューシャンは、カナダ、オーストラリアくらいで欧州人もほとんどいない。

日本人は真似でなくて、ブルーグラスかある特定サウンドが好きなら、それらを日本人のものにして自分のサウンドをつくるがよいのではないか。Jポップスが確立されたが、そのサウンドは独特だ。
だから日本人にカントリーが出来ない訳はないのだが、カントリーミュージックには先に述べたように厳格にDNAが存在している。でもフレディ・フェンダーFreddy Fenderの例もある。(このサイト、「思い込み論」7、カントリーのサウンドにある)
本当にアメリカ社会とアメリカ人を経験して、理解する。そこから日本人のカントリーミュージックの第一歩は始まるのではないか?
当たり前で申し訳ないがそう思う。(この項以上)